真っ黒に日焼けした日本セーラーらの歓喜の輪が広がった。男子
470級の関、轟組が銅メダルを獲得。赤い目をした小松一憲監督
のわきで、関、轟組は「うれしい。やったぜ」とにこにこしていた。
実に冷静なレース運びだった。前日までの総合成績で4位で、3
位のスウェーデンとは1点差。小松監督が「ふつうならガチガチに
なっても仕方がなかった」という状況。だが、好スタートから第1
マークを2位で回航。ライバルの追い上げをかわしてみせた。
2001年にペアを組んだ2人の世界選手権での最高位は11位。
メダル候補とはいえなかった。大躍進の理由は、大舞台でも物おじ
しない精神的な強さ。ジュニア時代から積んできた豊富な国際経験
がものをいい、ふだん以上の力を発揮した。
クルーの轟は「五輪に出られる人と出られない人の差を見てきた。
あこがれの場所で思い切りやった」と言う。そんな選手に、元五輪
代表選手の小松監督は「僕らとは違うタイプ。過去にいなかった選
手」と舌を巻く。
艇長を務める関は千葉・磯辺四小時代にヨットを始めた。ジュニ
ア用のオプティミスト級で腕を磨き、数々の国際レースに出場し、
1990年北京アジア大会で金メダルを獲得。
小松監督は「テクニックは世界屈指。得意の風域ならやれる要素
はあった」という。得意の6−8メートルの風域が続いたことも幸
いした。
[2004年8月22日 6時45分2秒]